全国至るところで、遠い昔から土地の季節と生活暦に合わせて、年に何度かの祭が営まれてきました。社会が拓け、文化が発達するにつれて盛衰してきた街場は勿論のこと、近代の大都市でさえ、古い伝統の祭や新しい趣向を凝らした市民の祭が、現代にあっても賑やかに繰り広げられています。歴史を通じ地方を通じて、祭ほど日本人に共通の文化はおそらく他にはありません。
「祭の日」に祭られるべき神々は、普段は風土の自然と人間の内なる自然にも宿っています。人々が普段の生活を送っている間、神々はむしろ生活の巷から退いて、ひっそりと神の社に鎮まっています。
かつては神を迎える祭に先立って、人々は普段の生活を離れ、心身の罪や穢を清めて、忌籠りの生活に入りました。そして約束された聖なる日に、神々は住民の生活の場を訪れるのです。
神の来臨はまた、神の誕生を意味します。祭において神々の生命が蘇ることは、神聖秩序の復活を表し、同時に社会全体の活性化を意味するものなのです。だからこそ人々は、これを大いに喜んで賑やかな神賑わいの行事が営まれるのです。これを日本人は「ハレ」と表現してきました。この「ハレの日」を楽しみにして、神々を精いっぱい歓待し、神の名において自分たちも大いに歓を尽くします。祭の交歓において、神も人も生命の活力を取り戻し、人々は気持ちを新たにして、再び日々の生活に立ち戻ることができるのです。