明治35年6月25日、大正天皇と貞明皇后の第二皇子としてお生まれになられた淳宮雍仁(あつのみややすひと)親王殿下には、大正11年6月25日、ご成年に達せられた折り、大正天皇より秩父宮の宮号を賜り「秩父宮家」をご創立されました。皇居よりみて乾(西北)の方角にあたり、荒川の水源地域でもある秩父連山は武蔵国の名山であり、遠く日本武尊の伝承など、神話の時代より皇室とのゆかりも深く、これに因んでの宮号であると言われています。
大正11年11月26日には、秩父神社にご親拝されたほか、広く秩父地方をご視察されました。昭和3年秋には、駐英大使や初代参議院議長などの要職を歴任された松平恒雄氏のご長女、勢津子姫とご成婚、昭和8年夏には両殿下お揃いでおよそ一週間にわたり秩父地方に滞在されました。
昭和天皇のご名代として、多くのご公務にあたられる一方、スポーツを特に愛好され、アルプス登頂をはじめ関係のご事跡も数多く、「スポーツの宮様」として広く国民に親われましたが、昭和28年1月4日、50歳の若さで薨去されたことから、永くそのご遺徳を敬仰すべく、秩父郡市民の総意をもって昭和28年8月20日に一般社団法人秩父宮会を結成致しました。
その年の11月26日、秩父宮勢津子妃殿下には特別のご聴許をもって、親王殿下がご成年式の砌に大正天皇より拝領した御釼を秩父宮会に対してご下賜されたことから、本会ではこれを親王殿下の御霊代として、秩父地方の総社である秩父神社に奉斎し、毎年5月3日に慰霊祭を斎行すると共に、平成7年8月25日に薨去された勢津子妃殿下のご聖恩にも応えるべく、両殿下の慰霊・顕彰事業を進めております。